本「人生がときめく片付けの魔法」近藤麻理恵

近藤麻理恵
人生がときめく片付けの魔法

 

「片付け道」教本2冊。

「捨てる」「捨てる」そして 「捨てる」。キーワードは「ときめき」。

アメリカのベビーブーマーがダウンサイジングをする時期にきて、自分の持ち物を子供に譲り渡すつもりでいたのに、子供にはその気がなくて落胆する親が多いという記事を読んで、この本を思い出した。

世界各国で好評らしいので、バッサバッサと捨てられたモノがゴミと化して世界各地のゴミ捨て場が満杯になったか、なるのではないか。

退場させたモノの行く先、その末路、或いは経済的影響までは心配せず、ひたすら、「あなたの今いる場」をときめく場に変化させましょうに徹している。

デパートの売り上げが落ち続けているのも、この本を読んで片付けた後には「ジャンク」を買いたくはないし、少ないモノですっきり暮らしていけることに気付いて、それが好きと分かってしまった人が増えたからかもしれない。お土産、可愛い小物売りやさんなども困っているかもしれない。

私はこの本を読まずに「捨てる」を実践した。4年前、2階建て4寝室3浴室1シャワー・トイレの家から2寝室2浴室のアパートに引っ越した。その時は、「この洋服、この鍋、本は触ってトキメクかしら」などと言っている余裕はなく、兎に角期日までに所有物を3分の1までに減らす必要があった。ドラスティックなダウンサイジングであった。

但し「捨てる」ことはせずに中古品として売り出す、人にあげる、又は寄付をしたものが多かった。彼女が薦めるような縫いぐるみの「目を隠す」こともなく、袋に塩を入れて、ありがとうと言いながら捨てることもなかった。誰か次の人が使ってくれるだろう、と気が楽だった。

その過程で無感情に片付けて、モノを減らしたと言いながら、やっぱりこんまりさんが何度も話している「自分にとって本当に必要なモノ」かどうかを選別したと思う。

彼女は触ってときめくモノかどうかを捨てるか残すかの判断基準にしている。そして、片付けの終わったときめく生活空間で自分がやるべきことに情熱を捧げなさい、片付けは究極のゴールではありませんと唱えている。

これを聞くターゲットは一人暮らしの独身女性か、ライフスタイルの雑誌を愛読するような人で、子供がサーッカーの練習から帰って砂の混じった泥々の靴を脱ぎ散らかしたり、ストレスが激しく部屋いっぱいにモノを散らかしている女子高生がいるような人ではないだろう。オトーさんの臭い靴下や下着などもあまり片付けについては考えたくないかもしれない。モノの少ない、整理整頓された部屋に置かれた赤ん坊は、涎を垂らしながら「引っ張り出して、うるさい音を立てて散らかす」体験をあまりできずに育つかもしれない。どうだろうか?

捨てられない(選択をできない)理由に「過去に対する執着」「未来に対する不安」を上げている。同感する。更に言えば、人に対してどのくらい気を許すことができるかにも繋がってくる。育った環境が関係して、自己防御をしながら生きてきた人の心を変えるのは大変なことだ。それを、こんまり流片付け術で変えられるのなら、精神修養のリーダーと言える。彼女は片付けに情熱を注ぎ小さい時から打ち込んできた。それは天職とも言え、人をそれに依って惹きつけているので、茶道や花道と並ぶ「片付け道」のマスターとも言える。現在を重視するのは、一期一会など同じ考え方だろう。

パンツやストッキングの畳み方などをきちっと教えようとするのは、お茶室の入り方、右足を後ろに引いて何歩で畳の縁をまたげと細かく教えるのと同じだ。彼女の理論を説明したのが「人生がときめく片付けの魔法」。ピタリと決まる正しいたたみかたなどを図解したのが「イラストでときめく片付けの魔法」

そのうちに、Karate, Judo, Sushiなどのように、Katazkeyなどという言葉が世界語になるかもしれない。

 

 

 

中国映画 Battle of Memories (バトルオブメモリーズ)- 記憶を扱い興味深いが登場人物が錯綜

Battle of Memories

公開 2017年 監督 Leste Chen

この中国映画の観客は日本人の私、アメリカ人の連れ、それに7人の若い中国人グループだけだった。

ここ半年、映画館に足を運ぶことが多いのだが、私たちが選んだ映画は、チケットを前もって買っておかないと席が取れないものと、広い映画館に8、9人しかお客が入らないような映画と二極化していた。

前者はLa La LandやBeauty and Beastのようにメディアで騒がれたもの。それにStar Warsのようなシリーズものが多く、スクリーンから弾丸、ロケット、ロボットや怪獣が飛び出してくるか、血が降りかかってくるような、「手に汗系」と私が呼んでいる種類だった。「新しいものが出たから行ってみよう」という感じで、Star Wars Rogue Oneも観たが、劇場を出た途端に忘れてしまうのは寅さんシリーズと同じ。製作関係者はそういう「癖で映画館に出かける」人を織り込み済みだろう。芸術性がどうした、こうしたには関心を寄せないだろう。

CGの手を借りた本当にシューリアリスティックなアニメなども家の小さいテレビより、劇場の大型スクリーンで観ると印象が全く違うのだろうと思う。Moanaの光る波、「君の名は」で見た透明な水の流れなどの美しさはCGだからこそ可能だ。最近観た、Ghost of Shell(攻殻機動隊)などもCGのテクニックで人間ロボットの融合が自然で驚いた。1982年のBlade Runnerから長い道のりを来たものだ。

後者の映画館に観客8人は、人間関係を綴ったようなものばかりだった。シャーリー・マクレーンの The Last Word(遺言) 、三日前に観たリチャード・ギアの演技が光るNormanも日曜の夕方にもかかわらず3カップルと私たちだけが貸切のようにして観た。リチャード・ギアが「素敵ね〜」と言われるような役でなく、イスラエルと政治が絡み、また、魅力的な旬の女優が出ていない(ロマンスが無い)のも観客を集められない原因だったのかもしれない。よく考えたら、これらは家のテレビでNetflixでも良かったのかも、と思えた。劇場放映はそう長くはないだろう。

前置きが長くて、やっとこの中国映画に行き着いた。すみません。このBattle of Memoriesはクリストファー・ノーランのインセプションを彷彿とさせ、記憶を意図的に消したり、戻したり、そうしたら混乱が生じて、となかなか興味深いストーリーだった。カメラワークも良かった。ただ、登場人物が交錯して分かりづらく、最後に「aha !そういう事だったのか」がないまま不満が残った。私だけの問題だったのかもしれない。連れに回答を求めたが、同じように頭を掻いていた。私と連れのアメリカ人以外の全ての若い中国人は分かったのかもしれない。

実はこの映画の前に何本も中国映画のプレビューがあった。殆どが、つまらなそうなホームドラマ的なものばかりだった。明らかにオハイオ州コロンバス近辺に住む中国人を対象にプレビューを流していた。
「こんなにも観客のいない映画や、つまらなそうなホームドラマをよく放映できるなあ、中国人以外見ないでしょうに」と思って後で調べたら、アメリカ全体にネットワークを持つAMC という映画館は中国の大企業Dallian Wandaが保有していた。連れは去年同じ映画館で、中国映画を観客3人だけで観たそう。中国ソフト文化を浸透させるという太っ腹の意図があれば、例えお客が来ないとしても別に何とも思わないだろうと、妙に納得した。何しろ製作自体がWanda Mediaであった。

映画 The Last Word (ラストワード)- 観客は全部で6人

公開2017年 監督 Mark Pellington  脚本 Stuark Ross Fink

コロンバスのAMC映画館には私と連れを含めて観客が6人しかいなかった。

「こんな経験(がら空きの映画館)初めてだ」と言うと、連れは「去年、中国映画を同じ映画館で観た時には3人しかいなかった」と応えた。

シャーリー・マクレーンが裕福だが孤独な老女ハリエット役を演じている。お得意の口の達者な意地悪バアさん役。、家族を含めて誰も彼も彼女を嫌っている。

ジャック・ブラックと共演した「Bernie バーニー みんなが愛した殺人者」(2011年公開)の大富豪女性と同じよう役柄だ。シャーリー・マクレーンがコメディをやるとしたら、こういう設定意外に考えられないのか。

Bernieバーニーでは、愛を求める孤独な意地悪バアさんのまま殺されてしまったが、The Last Wordでは意地悪バアさんから愛嬌のあるバアさんに変わって、彼女と関わった人に愛されて死んでいく。

ハリエットは新聞社で死亡記事を書いている若い女性を雇って、通り一遍ではない死亡告知記事を自分が生きているうちに書いてもらおうとする。雇われた若いライターのアンも他の人のようにハリエットを嫌い、怒鳴りあったりもするのだが、彼女の過去を調査したりインタビューして、知れば知るほど本質的には素晴らしい人だと分かるようになる。

そのストーリーの運びはフラットと言えばそうだし、ありきたりとも言える。

「心臓病のその名前からすると、あんな元気でドライブしたり、DJしたり、新聞社に乗り込んで怒鳴ったりできんだろう。病気の設定をむしろ癌にした方が良かったかもしれない」
などと言わないで欲しい(連れのコメント)。こういうバアさんになって最後を迎えられたら良いなあ、と思いながら映画館を出るので十分ではないか。シャーリー・マクレーンなんだから、もう一工夫して欲しいなどと厳しい批評をしている人もいる。しかし、巷にはどうしようもない映画が沢山ある。それでも土曜の夕方の公開にたったの6人しか観客が集まらなかったのは、どう見ても宣伝費をケチったか、マーケティングのミスではないだろうか。