映画 La La Land (ラ・ラ・ランド)- 珍しくAmericanオヤジも喜んだミュージカル

 

公開 2016年12月  監督・脚本 Damien Chazelle

期待以上に楽しめた。

女優を目指すミア(エマ・ストーン)は数え切れないほど映画のオーディションで落とされ続ける。その彼女がたまたま知り合ったジャズピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴスリング)の夢は自分のジャズクラブを持つことだ。映画俳優になることも、過去のものとして扱われがちな「正統ジャズ」に拘るピアニストも、一般的には現実離れしたla –la landでの話だ。それを二人は諦めずに現実のものにしてしまう、それだけの単純なストーリーだが、作中で演奏されるジャズや美しいメロディーの主題歌の挿入が自然で実に心地よい。

実は予告編 で、今旬の俳優エマ・ストーンとライアン・ゴスリングがロマンチックに踊るのを観ても、まあ、楽しそうなミュージカルなのね、くらいにしか思わなかった。これは是非観てみたいという気は起きなかった。

映画好きの我がAmericanオヤジは「ミュージカルはやなんだよ、ストーリーが途中で断たれて不自然に歌が挿入されて。それにチックフリック(往々にして甘いストーリーの女性受けするような映画)はゴメンだ」と、この映画に全く関心を示さなかった。ところが、曇って湿っぽい日が続き、あまり消耗しそうな映画には行きたくないという週末に、青空いっぱいのLa La Landは気分を上向きにさせるのにぴったりと思ったのか彼も選択に反対しなかった。

la-la landで検索しても、今現在の検索結果はこの映画ばかりだが、英語の意味としては、現実離れした夢物語の境地にいるような状態、またはハリウッドの映画にまつわるライフスタイル、ロスアンゼルスのことを意味する。映画のストーリーは、まさにこの意味そのものである。

「売れるもの」「生活のため」「お金のため」に自分の情熱を脇に置くのではなく、信念を貫いて自分が誇りに思えるゴールに到達する、という力強いメッセージがこの映画にはある、例え夢物語であっても。このストレートなメッセージは夢を忘れてしまった、かつて若者だった人に夢を思い出させ、将来はこうなりたいと思う若者まで皆の胸に届く。変に難しく成功への傾向と対策を立てず、また、上手くいかない時のための代替え案などを前もって注意深く用意したりせずに、”Just do it!”。これはキャリア選択の話でもある。

主人公二人の繊細な心の動きなどは表現されず、むしろダンスやセブのジャズに見るような体による表現が中心だ。終了間際の二人の心情も言葉はなく、音楽と表情だけで伝えている。話は変わるが、二人の会話の中にKenny Gが出てくるのが可笑しい。ホテルのロビーやエレベーター、どこに行ってもこの人の音楽に追いかけられた体験を持つ人が多いのではないだろうか。

 

映画 Moana

耳と目が喜ぶポリネシアを舞台にしたディズニー映画。

公開 2016年11月 監督 Ron Clements, John Musker  脚本 Jared Bush

Moana by Disney

ディズニーがアメリカに於ける文化、民族、映画の出演者(声優)の公正さの扱いに注意して、political correctness, cultural warの地雷を踏まないように制作したポリネシアが舞台のアニメーションフィルムだ。けれども、そんな事は忘れて楽しむのが一番だ。将来ブロードウェイのミュージカルになることがあったら是非行ってみたい。クリスマス休暇中に大人5人で映画館に出かけた。

歌の部分を今大人気の ミュージカル Hamilton を書いたLin-Manuel Mirandaが担当していると聞いて彼がどのように子供向けのディズニー映画の音楽を創り上げたのか楽しみだった。実際にHamiltonを観たわけではないけれども。フィットネスに関心を持つ息子はプロレスラーで俳優のドウェイン・ジョンソンの声と歌のできに興味を持っていた。

私はその人を知らなかったのだが、その深い太い声がポリネシアのユーモラスな半神、太っちょマウイに実にぴったりしていて、その役に彼以外の人は考えられないと思わせた。劇場を出てからもずっと彼の You’re welcome の歌が耳から離れなかった。

宮崎駿作品もそうだが、この作品も女の子が主人公となっている。勝気でしっかりもののプリンセスを可愛がるおばあさんが、彼女にプリンセスとして海を渡ってきた一族の誇りと再生を託すのも「風の谷のナウシカ」に似ている。少女パワーとアニメは相性が良いのかもしれない。

あらすじは赤ん坊の時から海をゆりかごのようにして育ち、海に守られているモアナが父親の止めるのも聞かず、一人海へ乗り出しておばあさんが語った伝説の島に行くと話である。その過程で少女は半神に出会い、航海術を習い、幾多の困難も乗り越えて成長して行く。シャンシャン。

海や空、自然が信じられないくらい美しく描かれ、登場するキャラクターの表情も自然な動きをしている。歌詞にも笑え、大人と子供が両方一緒に楽しめるものだ。

映画 Arrival

墨を吐くイカとコミュニケートしろと言われても普通の人は困惑するが。

Arrival

公開2016年11月

監督 Denis Villeneuve 脚本 Eric Heisserer

謎の飛行物体が地球上の各地に現れた。普通のSF映画だと、それが画面に映し出されると同時にCGの光線が交錯したり、未来兵器が次々に人間をなぎ倒したりするのだが、この心的SF映画は初めから終わりまで静かだ。訳の分からないものはやっつけるに限るという、アクション満載の映画を期待して観に行くとがっかりする。

飛行物体と言っても巨大な細長の石というか、「千と千尋の神隠し」に出てくるカオナシが巨大になって、お面を外してヌボーッと空中に留まっているような感じだ。危害を与えようとしている者(モノ)たちか、そうではないのか。一体、何を目的としてこの地に現れたのか。

到着と同時に地球人を襲うことはなく、何かメッセージを持ってきているような気配もする。一国だけの問題ではなく、対処方法を間違えば世界戦争が起きる可能性もある。そこで米軍の幹部は言葉の専門家である言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)を密かに連れ出し、

「この奇妙な相手が一体何をしに来たのか聞き出してくれ」

と頼むというか、命令する。彼らは他国、ことに中国の出方を気にしている。彼女のそばには物理学者のイアン(ジェレミー・レナー)が付く事になった。ハハ〜ン、ロマンスの相手ね、と一瞬のうちにわかるのだが、このロマンスは通常のロマンス以上の意味がある。

彼女が、イアンや他の関係者(男ばっかり)と浮遊物体の中に入って行くと、そこにいたのはイカの足みたいなものだった。

私たちが水族館に行って、たこやイカのような巨大軟体物を見ていたとしよう。中の巨大イカが私たちの方にやってきて水槽の壁面に吸盤を吸い付けても誰も挨拶をしているとは思わず、また、墨を吐き出して

「あなたを好きです」

とメッセージを送ってくれたとしても、人間の方は、

「珍しいところが見られたわ、ラッキー」

と言いながら去ってしまい、振られたイカは水槽の片隅で泣くだけだ。ルイーズの場合は、この墨のパターンを言語或いはパターン化した言語的意味を持った記号として理解し、コミューニケートする必要があった。

印象的シーンは、彼女が初めて異生物に会う時に隔離された壁面越しとは言え、 人間に接するように身につけていたマスクとオレンジ色の防護服を脱いだことだ。私はこのような顔をしたもので、「名前をルイーズと言います」と自分を見せるのだ。鳥かごに入った小鳥を連れて行くのは、有毒ガスの探知を目的としているのだろうが、彼女は格別それを気に留めているようすもない。

二人(二匹)の異人と何度も会ううちに次第にイカスミ記号パターンの種類は増えていくのだが、何を意味するのかさっぱり分からない。意味を解こうとする合間合間にルイーズの「亡くなった娘」との会話が思い出されて記号解読のヒントを与えてくれたりする。しかし、筋の運びの中で分かりづらい。英語をきっちり理解できないからかと思ったが、過去に結婚して(娘との会話に離婚という言葉が出てくる)、娘ができて、その子が亡くなり、今は異人の言葉・記号を解読しようとしていて、折良く新たな恋人候補のイアンが現れたと年表を書いて物語を理解しようとすると、私のように間違う。

ルイーズは異星人とのコミュニケーションを通じて未来に起こることが分かるという自分を発見した。そして、そのような普通ではない能力が問題の解決に導く。

他人より先に未来が覗け、その答えや結果が分かれば便利で最強と思えるが、ありがたいことに普通の人にはそれができない。だからこそ、悲しいこと、気に入らないことも抱えたまま変わらない日々を繰り返し送れるようになっている。