映画 Paterson ( パターソン)- 淡々と詩人の流れゆく日々を綴った

公開 2016年 監督・脚本 Jim Jarmusch

語呂合わせのようだが、パターソン(アダム・ドライバー)はこの映画の主人公であり、その主人公が住むニュージャージー州の一都市でもある。彼はそこで市バスの運転手をしている。そして詩人。

ストーリーは4行くらいで終わるものだが、それを小学生の作文のように長くしてみる。ネタバレと怒る人が出るかもしれない。

毎朝、決まった時間に目を覚まし、じゃれ猫のような魅力的な妻ローラにキスをして、ベッドから起き上がり、椅子の上にきちっと畳んで準備してある着替えを取る(シャワーを浴びるために)。シリアルを食べ、ランチボックスを提げ、歩いてバスの車庫に行く。

バスに乗って出発時間を待ちながらノートに詩を書いていると配車係のような男が来て挨拶をし、社交辞令として、その人に「今日は元気か?」と聞き返すと、問題が20位あるような返事を返してくる。それも双方にとって一日の儀式のようなもの。運転台から見る町も、乗客も、乗客の会話も詩人の目で映し出されて流れて行く。多くの人が乗り降りするが、彼に興味を覚える人はいない。帰宅後、意思を持った自由犬のブルドッグを散歩させながら行きつけのバーに寄りビールを飲む。それが繰り返される生活。

これだけ聞くと面白くも可笑しくもないつまらない映画に聞こえるかもしれない。日本人には比較的、日常生活を淡々と描く映画の鑑賞眼があるが、アメリカ人のボールがあれば追いかける、棒を持てば振り回すのが自然の男性観客は「つまんない、帰ろう~」とすぐに言い出すかもしれない。が、そういう男性客も彼の部屋に飾られている海兵隊のユニフォーム姿の写真を見ると考えを変え見続けるだろう。

決まりきった生活をし、何が起きても不満を漏らすことはないし、自制心も持っている。そのような生活を続けられるのは気まぐれで天真爛漫、チャーミングな変わった行動をとる妻がいるからだ。

夫が詩人であることを認め讃える妻は彼に「秘密のノート」に書き貯めた詩を失くさないためにコピーを取っておくように指示する。不承不承約束するのだが、それをしないまま出かけたある日、家に残した犬に大切なノートを食いちぎられてしまう。
奥さんは「だから、私があれほど言ったでしょう、もう」などとは言わない。

余談だが、アメリカでは子供が宿題をやらなかった言い訳として「犬に食われた」がよく知られていた。今の子供はそんなバカな事は言わないかもしれない。

食いちぎられたノートに意気消沈した主人公は 滝のあるパターソン市内の公園まで歩くことにした。William Carlos Williamsがこの町についてPatersonという題で書いた詩で有名な場所という。ベンチで呆然としていると、中年の背広姿の日本人に話しかけられる。

話し始めに、必ず”Excuse me….”と言い、”Aha!”とちょっとピントが外れたような言い方をする、この日本人は詩への炎を再び燃え上がらせたいと公園までやって来たと説明した。そうして日本語訳のWilliam Carlos Williamsの詩集を手にする。が、それを見ても、パターソンは自分が詩を書く人間だとは言わない。「バスの運転手」とだけ自己紹介する。秘密のノートを失ってしまった彼は詩人として紹介できるものを何も持たないと感じたからだろう。二人で居心地悪そうな、ぎこちない会話を交わし、一緒に滝を眺めた後、別れ際にもらった手作り風のノートとAha! にインスピレーションを得たか、詩心を再び復活させた。

静かな動きの中に様々な感情を込めて表現しているアダム・ドライバーが素晴らしい。永瀬正敏が最後の重要なシーンを「神秘的な復活を与えた東洋人」という感じで軽く渋く演じている。また、いうことを聞かないブルドックの存在が人間以上に大きい。
パターソンの海兵隊時代の動と今のライフスタイルの静、ほとんど笑わない彼と、お日様のように笑う奥さん。その明るい奥さんの好む色彩のないモノクロームのインテリア、性格の異なる何組かの双子等から陰陽的要素で映画は組み立てられていると感じたのは穿ちすぎだろうか。観終えてから、自分も詩を書いてみたいと思わせられるかもしれない。William Carlos Williamsは小児科医をしていた詩人だった。

映画 La La Land (ラ・ラ・ランド)- 珍しくAmericanオヤジも喜んだミュージカル

 

公開 2016年12月  監督・脚本 Damien Chazelle

期待以上に楽しめた。

女優を目指すミア(エマ・ストーン)は数え切れないほど映画のオーディションで落とされ続ける。その彼女がたまたま知り合ったジャズピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴスリング)の夢は自分のジャズクラブを持つことだ。映画俳優になることも、過去のものとして扱われがちな「正統ジャズ」に拘るピアニストも、一般的には現実離れしたla –la landでの話だ。それを二人は諦めずに現実のものにしてしまう、それだけの単純なストーリーだが、作中で演奏されるジャズや美しいメロディーの主題歌の挿入が自然で実に心地よい。

実は予告編 で、今旬の俳優エマ・ストーンとライアン・ゴスリングがロマンチックに踊るのを観ても、まあ、楽しそうなミュージカルなのね、くらいにしか思わなかった。これは是非観てみたいという気は起きなかった。

映画好きの我がAmericanオヤジは「ミュージカルはやなんだよ、ストーリーが途中で断たれて不自然に歌が挿入されて。それにチックフリック(往々にして甘いストーリーの女性受けするような映画)はゴメンだ」と、この映画に全く関心を示さなかった。ところが、曇って湿っぽい日が続き、あまり消耗しそうな映画には行きたくないという週末に、青空いっぱいのLa La Landは気分を上向きにさせるのにぴったりと思ったのか彼も選択に反対しなかった。

la-la landで検索しても、今現在の検索結果はこの映画ばかりだが、英語の意味としては、現実離れした夢物語の境地にいるような状態、またはハリウッドの映画にまつわるライフスタイル、ロスアンゼルスのことを意味する。映画のストーリーは、まさにこの意味そのものである。

「売れるもの」「生活のため」「お金のため」に自分の情熱を脇に置くのではなく、信念を貫いて自分が誇りに思えるゴールに到達する、という力強いメッセージがこの映画にはある、例え夢物語であっても。このストレートなメッセージは夢を忘れてしまった、かつて若者だった人に夢を思い出させ、将来はこうなりたいと思う若者まで皆の胸に届く。変に難しく成功への傾向と対策を立てず、また、上手くいかない時のための代替え案などを前もって注意深く用意したりせずに、”Just do it!”。これはキャリア選択の話でもある。

主人公二人の繊細な心の動きなどは表現されず、むしろダンスやセブのジャズに見るような体による表現が中心だ。終了間際の二人の心情も言葉はなく、音楽と表情だけで伝えている。話は変わるが、二人の会話の中にKenny Gが出てくるのが可笑しい。ホテルのロビーやエレベーター、どこに行ってもこの人の音楽に追いかけられた体験を持つ人が多いのではないだろうか。

 

映画 Moana

耳と目が喜ぶポリネシアを舞台にしたディズニー映画。

公開 2016年11月 監督 Ron Clements, John Musker  脚本 Jared Bush

Moana by Disney

ディズニーがアメリカに於ける文化、民族、映画の出演者(声優)の公正さの扱いに注意して、political correctness, cultural warの地雷を踏まないように制作したポリネシアが舞台のアニメーションフィルムだ。けれども、そんな事は忘れて楽しむのが一番だ。将来ブロードウェイのミュージカルになることがあったら是非行ってみたい。クリスマス休暇中に大人5人で映画館に出かけた。

歌の部分を今大人気の ミュージカル Hamilton を書いたLin-Manuel Mirandaが担当していると聞いて彼がどのように子供向けのディズニー映画の音楽を創り上げたのか楽しみだった。実際にHamiltonを観たわけではないけれども。フィットネスに関心を持つ息子はプロレスラーで俳優のドウェイン・ジョンソンの声と歌のできに興味を持っていた。

私はその人を知らなかったのだが、その深い太い声がポリネシアのユーモラスな半神、太っちょマウイに実にぴったりしていて、その役に彼以外の人は考えられないと思わせた。劇場を出てからもずっと彼の You’re welcome の歌が耳から離れなかった。

宮崎駿作品もそうだが、この作品も女の子が主人公となっている。勝気でしっかりもののプリンセスを可愛がるおばあさんが、彼女にプリンセスとして海を渡ってきた一族の誇りと再生を託すのも「風の谷のナウシカ」に似ている。少女パワーとアニメは相性が良いのかもしれない。

あらすじは赤ん坊の時から海をゆりかごのようにして育ち、海に守られているモアナが父親の止めるのも聞かず、一人海へ乗り出しておばあさんが語った伝説の島に行くと話である。その過程で少女は半神に出会い、航海術を習い、幾多の困難も乗り越えて成長して行く。シャンシャン。

海や空、自然が信じられないくらい美しく描かれ、登場するキャラクターの表情も自然な動きをしている。歌詞にも笑え、大人と子供が両方一緒に楽しめるものだ。