銃規制よりセクハラ問題への関心の方が高い社会

10月初めにラスベガスで銃による無差別殺人が起きた。それから1ヶ月して、テキサスの田舎町でも、最も穏やかであるべき教会で乱射があった。しかし、注意持続時間が短いメデイァはラスベガスの事など今では何も取り上げないし、銃の規制などは気が遠くなるほど希望がないので、政治家も誰も何も言わない。

それより、ニュースとして美味しいのは映画・テレビ界で力を誇っていた男たちがセクハラで糾弾され、一時的にせよ崩れ堕ちて行く姿だろう。フツーの人間も、このセクハラ問題への関心は高く、事実、私たちも久しぶりに会ったカリフォルニアの友達や、感謝祭のディナーで若い世代を交えて討議した、ワインを飲みながら。

次から次に”me too”(実は私も被害者)が後を絶たないのだが、これがどういう形で落ち着くのだろうか。握手や、肩を叩いたり、また、ハグはリスクがあるから、日本のように「おじぎ」と言葉による挨拶が安全となって、大の男が腰を屈めたりするようになるのか。カリフォルニアの友達によれば、退職した彼の大学教授のお兄さんは学生との「タッチ、接触」はしなかったそうだ。「良く、やった!」とか、卒業して別れて行く学生に「がんばれよ、元気でな!」とハグなどはしなかったのだろう。

圧倒的に少数の「悪いやつ」が、残りの99%の心地よい雰囲気やシステムを壊すのは空港のセキュリティーに似ている。

「ワインスタイン、あのプロデューサーはいかにも平気で嫌がらせをしそうだけど、落ち着いたインタビューで信頼に足ると思っていた、チャーリー・ローズまでが、裸で若いスタッフの前に出たりして、セクハラしていたのには驚いたし、がっかりした」と友達と話した。本当の事は分からないけれども。

老いた裸体を見たことがある。裸体のデッサンのクラスで垂れ下がった皮膚と乳房でポーズを取った女性、股を広げたハゲ頭の男性などを描いた。感情は湧かず、「静物の代わりに人体」でしかなかった。見ている側の立場が上だった。

ハーベイ・ワインスタインやチャーリー・ローズなどは、生殺与奪の権を持つ者として困惑したり、嫌がる女性に裸体を見せて、自分の力を感じたかったのだろうか。見られる側が力があって、見る側は「物体」を見るように無感情にはなれなかったと想像する。既に実績を積んで認められたセレブなのに、どうしちゃったのだろうか、と思ったが長年の癖なのかもしれない。美しい女性が役を求めて次から次にやってくるのだから、何をしても大丈夫と思ってしまったのだろうか。引き際が悪いと、今までの実績すらも地に落ちてしまう。

多くの会社や政府機関ではセクハラ問題に陥らないように教育していると言う。裁判沙汰になった日にはビジネスの妨げになるし、損失は大きい。男性管理職は女性職員への対応に細心の注意を払い、それはとても距離を置いたものになることだろう。「望むところです」と言う女性が多いかもしれない。が、下手をすると、どこの世界にしても、オールドボーイ・ネットワークなどと言われるジェンダー・ディバイドが今までより大きくなるかもしれない。