Category Archives: Book Reviews

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昨日はバレンタインデー。Tinder と幕末時代のお見合い

Tinder, Match.com

バレンタインデーの昨日、ラジオを聞いていたら「人はこの頃どうやって知り合ってデートするの?」という話をしていて、その中で、ある社会学者が、

『「Tinder」「Match.com」などのソーシャルネットワーキングで知り合うという人が多い』と言った。本当かしら。実際にやったことがないから分からないのだが、出てきたデートの候補者を見て「右にスワイプしたら、その人は「イイね」左にスワイプしたら「パス。やだ」になって、両者が「イイね」になったら次に進む、くらいは聞いたことがある。

実の姿を見せずにカッコイイ誰かのプロファイル写真を使ったり、嘘を言う事はないのかという疑問はともかく、その社会学者は続けて、

「女性が結婚しない、また、結婚を遅らせるのは結婚しなくても自分で生きていけるようになったからだ。前は、父親か伴侶に養ってもらうしかなかった。が、さて、結婚してもいいかと思った時にはなかなかピッタリする人に会えない。そういう時にデータ中心のソーシャルネットワーキングが役立つのだ」と。

映画やおとぎ話のように都合よく王子様が村に現れてくれない。であれば、「犬と散歩をするのが好き」「ビールよりワインが好き」とか、趣味などが一致した人の中から探し出した方が時間を無駄にしないというわけだ。

「所詮、デートは自分に合うかどうかのデータ収集期間なのだ」とも言った。なるほど。

そうして知り合って実際に結婚した人がどのくらいいるのか、別れずに一緒に暮らしている年数や率はどのくらいか、などの数字を追って欲しいものだ。

婦人世界「幕末時代の見合い」

その反対に明治44年(1911年)の雑誌に、「幕末時代の見合い」という記事が載っていた。この記事によれば、「あそこの家に年頃の娘さんがいる」という有用な情報を収集し、交換してくれたのは出入りの呉服屋さんや魚さんだと言う。

婦人世界 明治44年月24日号

婦人世界記事

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、うちの娘ったら全くその気がなくて、良い方があったら紹介してくださいませ」と世話好きのオバサンに頼むのはずっと後のことなのだろうか。私はその昔、お見合いをして相手から断られた経験があるのだが、今なら「パス」と言って左にスワイプされてしまったわけだ。

もう、20年前くらいの話だが、ある若いインド人の知り合いが

「夏休みに家に帰って花嫁を連れてくる。相手は誰か知らないが親が探してくれて楽しみにしている」と言った。幕末のお見合いに似ている。親が探して決めてくれたのなら信頼して一緒に暮らしていくだけの話でロマンスもへちまも期待しない。そこが出発地点だ。そういうやり方もあるのだ。


When I get older, losing my hair many years from now, will you still be sending me a valentine, birthday greetings, bottle of wine?

 

本 The Treatment Trap – アメリカ医療のネガティブな一面

 

The Treatment Trap

The treatment Trap

Rosemary Gibson,
Janardan Prasad Singh

2010年

私たちはお医者さんに

「あなたはガンです。抗がん剤で治療をしましょう」或いは

「あなたのお父さんは心臓病でバイパス手術が必要です」

「子宮の腫瘍が悪性です。子宮を切り取ってしまいましょう」

と言われた時に

「ちょっと待ってください。第二、第三、第四の意見を聞きますので、直ぐには決めません。それと、治療によって起きうるマイナスの面、治療をした場合の延命率、QOL(生活の質)向上のデータを知りたい。その病院、執刀する医師のデータはあるのか、失敗する確率はどのくらいか。医学の学会誌に掲載されたような記事はあるのか」

などとお医者さんに聞けるだろうか。恐らく聞けずに、家に帰ってインターネットでサーチして有象無象の記事を読み、友達や親戚に意見を求めたりするのではないだろうか。そして、多くの場合、はっきりした結論は出せなくて、何もしないより、何かしたほうが良いだろうという結論に立ってお医者さんにお任せすることが多いのではないだろうか。

この本は中途半端なその態度は良くないと言っている。それを直して、とことん調査をして自分が主体となって決定しない限り、不必要な治療は止まらないと。そして、日本やヨーロッパの事情がどうかは分からないが、アメリカの「グリーンモンスター(お金)」に駆られた行き過ぎた治療に警鐘を鳴らしている。

不必要な治療により命を落としたケース、多大な医療費の浪費、政治とウォールストリートと結びついた利益重視の病院経営など、その事例が延々と語られていて、溜息をつきながら読むことになる。警鐘の本なので、患者が助けられた明るい話はない。

アメリカの五大湖沿岸の都市を旅行した時に、嘗ては隆盛を極めたであろう寂れた中心部にピカピカの大学と異様な規模の巨大病院を見た。一体、どのくらいの数の病人がここの施設に収容されているのだろうか。仮に人々がどういう方法かで健康になってしまったら、あの施設はゴーストタウンと化すわけで、常に一定数の患者(お客さん)が必要なのだろうと想像した。それにアメリカでは、多くの医者が多額の教育ローンを返済しなければならないこと。また、裁判沙汰になるような医療ミスを防ぐために、過剰と思われる治療が施されることもあるだろう。医療分野に群がって蜜を吸おうとする人々がいる限り容易に解決できる問題でもないだろう。

特に目新しい事は書かれていないが、医療費でつぶされて崩壊する前に、この自分の不確かな命と体をどう扱うのかを考えなくてはいけないと思った。

日本語翻訳が「治療のわな」という題で出されていた。

 

本「花と龍」- 火野葦平が両親を書いた

「花と龍」火野葦平

花と龍

火野葦平 1952年〜3年

アフガニスタンで砂漠に水を引く事業の先頭に立って、アフガンの民を率いている日本人医師中村哲氏の叔父さんが火野氏であり、花と龍の主人公玉井金五郎とマンが彼のご祖父母だとは全く知らなかった。

それが、ある時、若い友達と中村医師の話をすることがあったのだが、

彼女が「私、彼のおじいさんの本、持ってます。読みませんか?」と貸してくれたのが、この本だった。

実話、つまり火野葦平は両親を書いたというのだが、あまりにロマンチックで、どこからどこまでが事実なのだろうかと思いつつも、疑うことを忘れてしまう良くできた冒険譚でもある。

日本が工業化して行く明治の終わりから昭和の時代。貧しくとも野望を持って生きた若者たちがいた。

玉井金五郎もマンも教育はなく貧しい出で、九州若松の港湾で沖中士をしていた。教育はなかったとは言え、彼らは知恵や人間として望ましい生き方の核とも云うべきものを持っていた。金五郎は一介の流れ者の労働者から生来の肝っ玉の太さ、人と素直に接する心構え、それに努力で「親分」にまで登り、労働者の側に立った「組」を発展させて行く。妻のマンは良き理解者で、一生を通じての恋人。ビジネスパートナーでもあった。

題名の龍は金五郎が賭博場で知り合った芸者に彫らせた刺青で、彼のシンボルでもある。マンはその頃の女性としては実に個性的で近代的。めかけを持つ男を認めず、めかけに腑抜けにされて仕事もまともにしなくなった「親分」に腹を立て、また、男をだめにしてしまった、そのめかけを家から追い払ったりしている。つまり、夫のマネジャーの尻をたたいて、会社の存亡がかかっている時に、愛人を追っ払って仕事をさせたような人だ、現代のコンテクストでは。

とにかく彼女は明るくて賢くて、しかも強い。

北九州一体を「仕切っていた親分」吉田磯吉は、そのまま国会議員になり睨みをきかしたようだ。

調べてみたら、山県有朋なども、暴力を嫌った玉井金五郎の宿敵であった吉田磯吉を繰っていたという。このあたりの資本家、政治家、暴力団との癒着などは読んで興味深いが、悲観的にもなる。暴力を避けて、弱いものの側に立ち、義を通して目的を遂行させようとする玉井金五郎の生き方、そのDNAは中村医師に引き継がれているのだろうと思える。

金五郎に惚れ抜き、サイコロを振る妖艶な芸者お京は「やくざ映画」になりそうだと読みながら思ったら、やっぱり沢山の映画がこの花と龍を下地に作られていた。