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本「野ばら」林真理子

「野ばら」林真理子 文春文庫2007年

この本には、いわゆる一般人は登場しない。若いながら女の扱いを知っている女形の歌舞伎役者、彼との結婚を切望している宝塚の娘役、若い女性を羨ましがらせる記事満載の雑誌のライターなど、キラキラしている人ばかりが登場する。例え家事手伝いのような一般人と括られるような立場にいても、親がレストランを経営していたり、良い家柄の出で外資銀行に勤めるというような説明がつく人たち。

慶応、青山、聖心あたりの学校に小さい時から行っていて、ファッショナブルな生活が当たり前の暮らしをしてきた、そういう25歳前後の男女が繰り広げるロマンス小説だ。デートやイベントの場所は祇園、亀岡、銀座、麻布、赤坂、乃木坂などで亀戸、両国、北千住などの地名は出てこない。キーワードは、

歌舞伎、宝塚、舞台、芸能界、財界、医者、レストラン、ワイン、デザイナーブランド、着物、大使館、外国、ホテル、結婚

お昼のワイドショーに旅行ガイド雑誌を組み合わせたような物語だ。想像力を働かせることは一切必要なく、「私もしてみたいわ〜」というロマンスを、

メニュー1 ピンクのイメージで宝塚女優の千花のコース

切望した歌舞伎役者とは結ばれず、宝塚のトップにもなれない。でも、テレビ女優に転向し、高校時代の友達で成功した良いうちの坊ちゃんと結ばれて、そこそこハッピーになれる予感がする

メニュー2 ダークパープルのイメージ。ライターの萌のコース

妻子ある(妻は二番目。 最初の妻の娘は屈折した心を持つ高校生)映画評論家を積極的にアタックし、彼を自分のモノとするだろうという予感

メニュー3 黒のイメージ。地味な図書館司書をしながら不倫騒動に巻き込まれた萌の母親のコース

元々、良い家柄の出で、大学卒業を待つことなく映画俳優と結婚。娘を連れて離婚し、その後は地味な暮らしをするも、本来は上に上げたキーワードが似合う人だ。不倫騒動の後は手にしたお金と自然に身についている高級感覚でビジネスをやっていくだろうという予感

サイドメニュー

退団した宝塚女性の裕福な暮らし

等のメニューから選べるようになっている。知らなかった宝塚の内部の話は興味深い。それにしても、動画で見た宝塚の人気男役は汗臭い臭いのしない、ジャニーズ系、またはKポップ歌手と同じように見えた。非現実的な綺麗な「男の姿」である。

本「鈍感力」渡辺淳一

 

仕事の評価や恋愛、結婚生活などで耳の痛いことを言われたり、辛いことが起きても過敏にならず、軽く受け流す力がどんなに有効かを始めから終わりまで唱えている。この場合、何が起きているのかを理解できずにいる鈍感さとは異なり、困難な状態を理解しつつも、それをサラッと流して立ち上がる力のことを言っている。その提唱に多くの人が賛同したからだろう、2007年の流行語大賞にノミネートされたのだそうだ。

医者としての観点から、自律神経をリラックスさせておくことがどんなに大切か、そのためには他人の言うことに一喜一憂せず、例え叱られても「素直に鈍くあれ」と、知り合いの医者を例にあげて説明している。その他、

五感の鈍さ

どんな場所、どんな時にでも眠れる力

愛を射止めるために必要な鈍感さ

癌に対する考え方

等々、知って得をしそうな事について書かれているはずなのだが、読んでみるとインターネットでそこいらのブロガーが毎日書いている事とそう変わらない内容だ。小さな出来事を気にしないで、飄々と生きるのが吉、という事は分かった。では、そのように「鈍感に」「おおらかに」生きるための胆力、性格をどのように自分で鍛錬したらいいのか、その方法については書かれていない。

鈍感力を身につけるためには

「まずおおらかなお母さまに育ててもらうことである」

と言う。なんだ、持てと言われても、それは運命的なもので、努力で得られるものではないのか。

ドラえもんのジャイアンの母ちゃんのように、あっけらかんとおおらかに叱り飛ばすような母親は現代では珍しく、のび太のママのように24時間「宿題をやったか」をチェックしているような母親が大半なのではないだろうか。

「こうるさい母親からは、鈍感力を持った、おおらかな子供は育たない。」

と断言されてしまうと、大人になったのび太が自分で鈍感力を鍛えておおらかに元気に暮らそうと決めても、それは無理だと言うのか。せめて、

「頭のてっぺんを十回時計方向に摩りながら、『生きることは素晴らしい。これでいいのだ』と唱えろ、そうすれば鈍感力は徐々についてくる」とでも言ってもらいたかった。

 

 

本「いつか記憶からこぼれおちるとしても」江國香織

Cover of book

いつか記憶からこぼれおちるとしても

「いつか記憶からこぼれおちるとしても」江國香織 2002年
日本人の独身者で性体験なしの率が増加している話を友人から聞かされた。そんな時に、たまたま私が現在住んでいるオハイオ州の私立図書館の棚で、この本を見つけて借りた。

出版された時から14年が経った今、この本の中に登場する東京の私立女子高の生徒たちは、30歳を超えていることになる。おそらく独身が多いだろう。

精神を病んだエミは回復しているか。命はまだあるか。クラスメートが黴菌のようにエミを扱う中、何とも思っていないような高野は既に男を翫び、飽きたら平気で捨てられる若い獣性を持っている。援助交際で性と金品を交換するのが生活の一部になっている彩は、性を生きる喜びに取り戻しているかどうか。少なくともこの二人は「性体験なし」のグループには入らない訳だが。

自らを「不感症」と決めている菊子は、電車内で女性に触れられて、その女性に目が離せない。その菊子は、今、こんな男と付き合っているのではないか、と想像した。

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窓を開けると、冷たい風が吹き込んでくるのを頬に感じた。5分前まで一緒にいた菊子が振り返りもせず、音を立てるでもなく公園に向かう道を歩いて行くのが見えた。ショルダーバッグをかけている左肩が多少上がっているのを菊子自身は知らないだろう。窓から手を伸ばせばボブカットの髪に届きそうな気がする。髪に隠れた形の良い耳を一体何人の人間がこの世の中で知っているだろうか。

「菊子の耳は程よい大きさで、触れては申し訳ないくらい綺麗な流線型をしている。僕は好きだ」「変な人。耳の事なんか褒めてくれた人は今まで誰一人としていないわ。親だって私の耳の形なんか知らない筈よ」

という会話を思い出しながら慎は窓を更に大きく広げて菊子の持ち込んだブルガリの匂いと外気の中に漂う遅い秋の匂いを入れ替えた。

少しばかり汗ばんだ薄手のエジプト棉の白いシャツを脱いで、洗濯機に投げ入れ、クローゼットにかかっている、まとめて買った同じ6枚の白いシャツの1枚を取り出した。着替えると、やっと自分を取り戻したような気分になった。菊子がいた間、わずかに聞こえるほどにしておいたジャズのミックスはジョー・ヘンダーソンのブルーボッサに変わったところだった。音量をあげると、部屋に残った匂いを音の響きが外に押し去ってくれた。

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ママといつでも一緒のお嬢さんの柚が日本の希望の星かもしれない。ママのルノーの送迎に慣れていても、北風の中を何時間もボーイフレンドと手をつないで歩く楽しみを知っている。歩く事くらいしか思いつかない(意図的?)彼の素敵な笑顔を認める素直さを持っている。もしかしたら、今はママも巻き込んで、子育てに忙しいかもしれない。

若い女性に於かれましては、「そうそう私もこんな時があったわ〜」と記憶から「こぼれおちる」のを待たずに、さっさと振るい落として、良い意味での鈍感さを備えるくらいになって欲しいものだ。