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本「ズームーデイズ」井上荒野

「ズームーデイズ」井上荒野 小学館文庫2008年

「ズームーデイズ」井上荒野 小学館文庫2008年

正直つまんない小説だと思った。本屋で立ち読みができれば買わない本のうちに入る。が、たまたま手に入った日本語の本なので初めから終わりまでイライラしながら読んだ。

ストーリーがあってないような、30女の決められない生活をずるずると書き連らねたものだった。過去に文豪などと呼ばれた人々が自分の「愛の生活」をあーだ、こうだと悶々としながら、自分を天井の上から眺めて書いたモノが認められ、一つのジャンルとなって暴露的に自分の自堕落な生活ぶりを披露した。それを2000年代(2008年文庫本発行)に女性がやると、このような形態になるのか。

明治時代の男性作家が年上女性と同棲して、同時に夫と子供のいる女性と恋仲になっていて、心はその女にある。仕事が入ってこないので、実家に年上同棲女生と一緒に転がりこんで、その顛末を書いたとしたら随分騒がれたかもしれない。

そのミラーイメージで、大して売れない、有名な作家を父親に持つ女性作家が年下男性と同棲しつつ、妻子ある「愛している男性」に、いいように扱われていて、それを暴露小説に仕立てても誰も驚かなくなってしまった。それが、現代の日本なのだろう。

「決められない」自分に重ね合わせて親近感を持ちながら読む人も大勢いるかもしれない。そういう読者と一緒に、決められなくても、仕事がイマイチでも、結婚できなくても延々としぶとく生き延びていくとしたら、そういう読者も大いに共感するだろう。しかし、最後に主人公は年下男性と(仲良しのまま)別れ、都合よく妻子ある愛人より、もっと素晴らしい男が現れ恋をして結婚した。長編小説も書いた。

「こういう事が突然起きるから、読者のあなたも安心してね」というメッセージか。

前に書いたものが良い評価を得ず、大したことも起きなかったのに、「もののはずみ」のような依頼が出版社から来て、それが2冊目の単行本になり、次の依頼も来たと本の中で主人公に言わせているのは、筆者の実体験なのだろう。

有名な作家の子供に書かせた本、というだけでマーケッタビリティーがあるのかもしれない。吉本ばなな、江國香織と言った二世作家はどこか現実離れした、生活の臭いのしない女の子(人)が主人公になることが多い。自分が主体となって、ひっちゃきになっていない。何が起きても「関係ないわ、そんなこと」と、現実と距離を置いて生きていける。生々しく生きるために稼いだりしなくとも済む、そこのところが受けるのかもしれない。

本「野ばら」林真理子

「野ばら」林真理子 文春文庫2007年

この本には、いわゆる一般人は登場しない。若いながら女の扱いを知っている女形の歌舞伎役者、彼との結婚を切望している宝塚の娘役、若い女性を羨ましがらせる記事満載の雑誌のライターなど、キラキラしている人ばかりが登場する。例え家事手伝いのような一般人と括られるような立場にいても、親がレストランを経営していたり、良い家柄の出で外資銀行に勤めるというような説明がつく人たち。

慶応、青山、聖心あたりの学校に小さい時から行っていて、ファッショナブルな生活が当たり前の暮らしをしてきた、そういう25歳前後の男女が繰り広げるロマンス小説だ。デートやイベントの場所は祇園、亀岡、銀座、麻布、赤坂、乃木坂などで亀戸、両国、北千住などの地名は出てこない。キーワードは、

歌舞伎、宝塚、舞台、芸能界、財界、医者、レストラン、ワイン、デザイナーブランド、着物、大使館、外国、ホテル、結婚

お昼のワイドショーに旅行ガイド雑誌を組み合わせたような物語だ。想像力を働かせることは一切必要なく、「私もしてみたいわ〜」というロマンスを、

メニュー1 ピンクのイメージで宝塚女優の千花のコース

切望した歌舞伎役者とは結ばれず、宝塚のトップにもなれない。でも、テレビ女優に転向し、高校時代の友達で成功した良いうちの坊ちゃんと結ばれて、そこそこハッピーになれる予感がする

メニュー2 ダークパープルのイメージ。ライターの萌のコース

妻子ある(妻は二番目。 最初の妻の娘は屈折した心を持つ高校生)映画評論家を積極的にアタックし、彼を自分のモノとするだろうという予感

メニュー3 黒のイメージ。地味な図書館司書をしながら不倫騒動に巻き込まれた萌の母親のコース

元々、良い家柄の出で、大学卒業を待つことなく映画俳優と結婚。娘を連れて離婚し、その後は地味な暮らしをするも、本来は上に上げたキーワードが似合う人だ。不倫騒動の後は手にしたお金と自然に身についている高級感覚でビジネスをやっていくだろうという予感

サイドメニュー

退団した宝塚女性の裕福な暮らし

等のメニューから選べるようになっている。知らなかった宝塚の内部の話は興味深い。それにしても、動画で見た宝塚の人気男役は汗臭い臭いのしない、ジャニーズ系、またはKポップ歌手と同じように見えた。非現実的な綺麗な「男の姿」である。

本「鈍感力」渡辺淳一

 

仕事の評価や恋愛、結婚生活などで耳の痛いことを言われたり、辛いことが起きても過敏にならず、軽く受け流す力がどんなに有効かを始めから終わりまで唱えている。この場合、何が起きているのかを理解できずにいる鈍感さとは異なり、困難な状態を理解しつつも、それをサラッと流して立ち上がる力のことを言っている。その提唱に多くの人が賛同したからだろう、2007年の流行語大賞にノミネートされたのだそうだ。

医者としての観点から、自律神経をリラックスさせておくことがどんなに大切か、そのためには他人の言うことに一喜一憂せず、例え叱られても「素直に鈍くあれ」と、知り合いの医者を例にあげて説明している。その他、

五感の鈍さ

どんな場所、どんな時にでも眠れる力

愛を射止めるために必要な鈍感さ

癌に対する考え方

等々、知って得をしそうな事について書かれているはずなのだが、読んでみるとインターネットでそこいらのブロガーが毎日書いている事とそう変わらない内容だ。小さな出来事を気にしないで、飄々と生きるのが吉、という事は分かった。では、そのように「鈍感に」「おおらかに」生きるための胆力、性格をどのように自分で鍛錬したらいいのか、その方法については書かれていない。

鈍感力を身につけるためには

「まずおおらかなお母さまに育ててもらうことである」

と言う。なんだ、持てと言われても、それは運命的なもので、努力で得られるものではないのか。

ドラえもんのジャイアンの母ちゃんのように、あっけらかんとおおらかに叱り飛ばすような母親は現代では珍しく、のび太のママのように24時間「宿題をやったか」をチェックしているような母親が大半なのではないだろうか。

「こうるさい母親からは、鈍感力を持った、おおらかな子供は育たない。」

と断言されてしまうと、大人になったのび太が自分で鈍感力を鍛えておおらかに元気に暮らそうと決めても、それは無理だと言うのか。せめて、

「頭のてっぺんを十回時計方向に摩りながら、『生きることは素晴らしい。これでいいのだ』と唱えろ、そうすれば鈍感力は徐々についてくる」とでも言ってもらいたかった。