Category Archives: Austin, Texas

Austin, Texas – 「Street」 という名前の日本食レストラン

Streetに飾られている着物

「オースティンで一番美味しい和食レストランはどこですか?」と1990年にこの街に引っ越してきて以来、何度も聞かれた。答えるのは難しい。初めは、あーだ、こーだ言うほどレストランがなかった。 それが、最近はショッピングセンター毎に、寿司バーがあり、ラーメン屋さんなどもできて、「オースティンで一番美味しい和食レストラン」を探そうとしたら、毎週3、4回は食べ比べしないといけないほど増えたため、「私の好きなレストランは、、、」と答えている。

当初は「武蔵野」と答えていた。日本人板さんもいて、テキサスで有名な高級「日本食レストラン」UCHIを展開するTyson Coleが修行した場所として知られている。

「しょうゆのつけ方が悪い」とか、「割り箸をそうやって割るな!」とお客さんに講釈した気難し気な職人肌の板さんもいた。

ずっと行かずに遠ざかっていたのだが、久しぶりに訪れたら、Streetという看板がかかっていた。が、日本食レストランだった。

「まあ、いいか」と同行者とドアを開けると、店内のレイアウトはすっかり変わっていて、中央でヒスパニック系のシェフ二人が黒いユニフォームと黒い帽子できびきびと働いていた。気難し気な板さんは最早いなかった。それだけでなく、お客さんも白人ばかりで、アジア人は私一人。

最近低糖食にしていることもあり、焼酎をメニューに見つけて試そうとすると置いていなかった。獅子唐は「ほらよっ!」と丼一杯に入れずに、串に刺して、しいたけも、鰻も串に刺して焼いていた。酢の物には大葉が飾られていた。シェフはきっと、武蔵野で長いこと働いて、店を持ったか、任されているのかもしれない。味はまずまずだった。これ、何だろう?と思えるタレに浸かったハマチには赤っぽいハラペーニョの輪切りが乗せられていた。和食もローカルの味に変わってきているのだろう、あの、みっちりと具の詰まった、マヨネーズのかかった太巻きのように。

サバの握りを頼むと、「ごめんなさ〜い、サバはないけど、シマアジはどうですか?」と提案したウェイトレスはどうも日本人らしく条件反射のように「はい」と応えてしまうのだが、初めから終わりまで英語だけで通した。

Austin, Texas – ロック歌手のお母さんと知り合う

ロックコンサートの会場で歌手のお母さんと話すのは初めての経験だった。予期せぬことが数珠のように繋がった。

10月半ばの夕方訪れた近所のLonghorn Stakehouseは満席だった。待つのはやめて、バーで食べることにしたら、私の隣にピカン農家のビリーが座って、

「ぼくはこの辺(オースティン南部)に1970年代から住んでいるのよ、Home Depotがあるでしょ、あの隣。広い敷地だよ」とゴリゴリのテキサス訛りで説明しながら、「何、オーダーするの?」と聞く。

「う~ん、考えてる」という会話をしていると、ビリーの友達のビルが私の連れ、ディヴの隣に座った。彼はオースティン市内で楽器屋さんをしているとのこと。「オースティンはライブのメッカと言うけれど、音楽家の数がものすごく多くて競争がすごいよ。大変だよ」というような話を延々とした。

時々DJをする友達からも、大変だという話は聞いていた。すると、若いイケメンのお兄さんが楽器屋さんに話かけてきて、結果、11月1日の彼のロックコンサートに行くことになった。

バンドの名前はTequila Rock Revolution.

彼の名前はHaydn Vitera

 

 

 

オースティンのダウンタウンにある3Ten Austin City Limits Liveに行くと、赤いジャケットを着た白髪の女性が椅子にポツンと座っていたので、話をすると、彼女はバンドリーダーのHaydn のお母さんであることが分かった。一家総出で来ているようだった。

「クラシック音楽が好きだからHaydnと名前をつけたの。彼のバイオリンの先生は日本人だったのよ。私は毎週そのヒューストンの先生の所に彼を連れて行ったわ」という話をすると、Dia de los Muertosの白いフェースペンイントをしてクールにしているバンドリーダーが小さな子供になったような気がした。そして、

「もっと観客が来てくれるといいんだけど」とテストを受ける子供を心配するような親の顔になった。大半がメキシコ系やラテン系の観客で、マリアッチが程よく融合した音楽で踊ったり、体を揺すったりしていた。私も実にウキウキした良い気分でワインを飲みながら聞いた。

彼女はステージの近くに寄ってエレクトリックバイオリンを弾く息子さんの写真を撮っていた。