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本「花と龍」- 火野葦平が両親を書いた

「花と龍」火野葦平

花と龍

火野葦平 1952年〜3年

アフガニスタンで砂漠に水を引く事業の先頭に立って、アフガンの民を率いている日本人医師中村哲氏の叔父さんが火野氏であり、花と龍の主人公玉井金五郎とマンが彼のご祖父母だとは全く知らなかった。

それが、ある時、若い友達と中村医師の話をすることがあったのだが、

彼女が「私、彼のおじいさんの本、持ってます。読みませんか?」と貸してくれたのが、この本だった。

実話、つまり火野葦平は両親を書いたというのだが、あまりにロマンチックで、どこからどこまでが事実なのだろうかと思いつつも、疑うことを忘れてしまう良くできた冒険譚でもある。

日本が工業化して行く明治の終わりから昭和の時代。貧しくとも野望を持って生きた若者たちがいた。

玉井金五郎もマンも教育はなく貧しい出で、九州若松の港湾で沖中士をしていた。教育はなかったとは言え、彼らは知恵や人間として望ましい生き方の核とも云うべきものを持っていた。金五郎は一介の流れ者の労働者から生来の肝っ玉の太さ、人と素直に接する心構え、それに努力で「親分」にまで登り、労働者の側に立った「組」を発展させて行く。妻のマンは良き理解者で、一生を通じての恋人。ビジネスパートナーでもあった。

題名の龍は金五郎が賭博場で知り合った芸者に彫らせた刺青で、彼のシンボルでもある。マンはその頃の女性としては実に個性的で近代的。めかけを持つ男を認めず、めかけに腑抜けにされて仕事もまともにしなくなった「親分」に腹を立て、また、男をだめにしてしまった、そのめかけを家から追い払ったりしている。つまり、夫のマネジャーの尻をたたいて、会社の存亡がかかっている時に、愛人を追っ払って仕事をさせたような人だ、現代のコンテクストでは。

とにかく彼女は明るくて賢くて、しかも強い。

北九州一体を「仕切っていた親分」吉田磯吉は、そのまま国会議員になり睨みをきかしたようだ。

調べてみたら、山県有朋なども、暴力を嫌った玉井金五郎の宿敵であった吉田磯吉を繰っていたという。このあたりの資本家、政治家、暴力団との癒着などは読んで興味深いが、悲観的にもなる。暴力を避けて、弱いものの側に立ち、義を通して目的を遂行させようとする玉井金五郎の生き方、そのDNAは中村医師に引き継がれているのだろうと思える。

金五郎に惚れ抜き、サイコロを振る妖艶な芸者お京は「やくざ映画」になりそうだと読みながら思ったら、やっぱり沢山の映画がこの花と龍を下地に作られていた。

「猫の客」平出隆

「猫の客」平出隆、2001年単行本、2009年文庫本

作家、猫、小路が出てくれば村上ワールドを想うが、「猫の客」には小路や古い家に髪の毛の長い若い女性が現れて、挑発的な仕草で作家の頭を混乱させたりしない。動物のことが良く分かる妻と住んでいる古い家は小田急線の沿線なのだろうと想像する。

1980年代半ば、私は東京目黒区柿ノ木坂の古いお屋敷の一角に住んでいた。家主は海軍の高い地位に就いておられたが、戦後は中央に顔を出すことはなかったようだ。時々、中年の娘たちを叱りつける声がしたが、静かな暮らし方だった。

暖炉のついた、寄木細工が施された木の床の居間を間借りして、毎月3万円程度だったと思うが払った。大きな庭には店子専用の風呂小屋があって、雨の降る日には傘をさして飛び石伝いに小屋と母屋を行き来した。門限が10時になっていて、毎日のように門限直前に電話をすると裏木戸をうまく開けられるようにしておいてくれた。

多くの友達が出入りし、宴会を開き、泊まり、大家さん家族と共用のトイレで鉢合せをすることもあったが、家族は私に何も言わなかった。教養を備えた個人主義の信奉者のような人たちであった。旅行をする度に家主の元にオールドパーを届けたのが効いていたのかもしれない。彼にとっては特別な思い出があったらしく、瓶の箱を手にしたまま難しそうな、不機嫌そうな顔を崩して、イギリスでの思い出話をするのだった。

もし、私があそこで猫を飼っていたらどうなっただろうか。意図しなくても、たまたま猫が私の元に訪れたらどうなっただろうか。「猫の客」を読みながら、古い洋館や木でできたモダンな日本家屋が並ぶ目黒の一角で暮らした若い日々を回想した。

その頃、集まった人の中で、一座を沸かせ、中心に座った二人は今は亡い。

実はこの本、ドイツにいる娘が「フランスで人気がある本なのよ」と言って自分が読んだ後(だと思う)にアメリカにいる私に’送ってくれたものだ。何事も起きないような小路を行き来する日本人の風景と季節の移り変わりなどが静かに繰り返される世界にフランス人は憧れるのだろうか。距離的には近くにいながらお互いに深入りしない、何本も引かれたような平行線に沿って進む都会人の間を猫がジグザグに往来して、時々、その猫に関わる人間を驚かせたり、近づけたりする役目をしているのかもしれない。

2000年ごろ、お屋敷がどうなったのだろうかと行ってみたが、探せなかった。町並みもすっかり変わり、樹木と木造家屋は消えて、色のついた二階建ての値段の高そうな家ばかりになっていた。お屋敷のあった番地は「猫の客」中の大家さんのように、敷地を割って売ったのだろう、2軒の大きな家が建っていた。

 

「家守綺譚」梨木香歩

「家守綺譚」梨木香歩 2004年

一種類ずつの草木がモチーフとなって、涼やかに編まれ、次第に大きなストーリーとして編み広がって行くのだが、冒頭に、「サルスベリに恋をされる(懸想される)」主人公が登場する。彼にそう教えてくれたのは、亡くなった親友の霊だ。そう言われれば、サルスベリの滑らかな木肌を撫でてやるのは気持ちが良く、そうするのが日課となった、と多少エロチックでもある。物書きの主人公は、その気持ちに応えるように、木に本を読んで聞かせると、ものによって、喜びを表したり、嫌がったりと、全くの妄想に過ぎず、奇妙な話だが、すんなりと納得して話に誘い込まれてしまう。
疎水が施された伝統的な日本家屋の床の間に掛かる掛け軸から時折現れる亡くなった親友の霊との会話、同じ親友の霊が飼えと勧めた犬のゴローの話、知り合いの和尚が話す獣や化物の話、隣家の人の良い女将さんの話が草木と一緒に語られる。

南蛮ギセル、ネズ、セツブンソウ、貝母(ばいも)がどういうものなのか、花道をやらなかった私には分からなかったが、どれも、茶室の床の間に一輪飾られそうな名前で、雰囲気がぴったりと合っている。こう言う話が書けたらいいなと思う。